あおもみじの読書ノート

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四十にて惑う -役に立つ古典-

古典を読むことに憧れます。
人の土台としての素養として持ってると、
ちゃんとした大人になれる気がして。
でも何から手を付けたらいいかわからないし、
難しそうだしと憧れのままです。
 
そんな人向け?のこの本、
読みやすくて、知ってたらちょっと自慢できそうなところも
うまくツボをついてて一気読みしました。
 
役に立つ古典 安田登/著 

(2021年8月16日現在 Kindle Unlimited対象)

 
「論語」と言えば、
"子曰わく、吾十有五にして学に志し、
三十にして立ち、四十にして惑わず、
五十にして天命を知る。六十にして耳順う、
七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず″
が有名です。
 
"四十にて惑わず"を「まどわず」と読んでいた私は
その年齢になってもいまだ迷いまくり。
当時は平均寿命も短いし、
成人として一人立ちするのも早いから、
四十代でそのような境地になるのか、
あるいは、
孔子がすごいってことなのか、
と思っていました。
 
ところが、「惑」という漢字は
孔子の時代になかったそうです。
孔子が言った言葉を
後の人が「惑」という漢字をあてて、
「まどわず」と読むようになったということらしいのです。
では、もともとの字は何だったのか?
著者は「或」(わく)ではないか、
この漢字の意味は「区切る」であるから、
「四十で迷いがなくなり」ではなく、
「四十にて区切らず」ではないか、と考えられると言います。
 
つまり、四十歳くらいになると
自分ができるのはここまでと、自分を限定しがちになる、
それではいけない、ということです。
それまで自分が手を出さなかったことをあえてやってみる、
年齢を重ねて固まりだした自分をあえて壊してみる、
その結果たどり着くのが、
「五十にて天命を知る」の世界になります。
 
体力、気力が三十代とは明らかに変わってきて、
働き方や生活スタイルを
否が応でも見直さなくてはいけなくなってきたし、
自分の能力の限界も見えてるし、
この先の(多分)長い人生どうしていったらいいんだろうな、と
思うようになっていたのですが、
まだまだ可能性を探す年代なのだと
背中を叩かれたような気持ちになりました。
同時に迷っていいんだと、気持ちが楽になりました。
 
「論語」だけではなく、
「古事記」「おくの細道」「中庸」の説明の
どれも目から鱗がポロポロ落ちました。
 
もっと読みたい、知りたい。
古典には「遅読」、
ゆっくりじっくり読むのだと言われても
一人では挫折が目に見えてるので、
安田先生のWeb講座とかないかしら?